Travelogue

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松屋銀座さんの“いいデザイン”

1950年代から、“デザイン”という視点で衣食住を提案してきた松屋銀座。
松屋銀座が見つめ続けてきたものとは? 
そして、松屋銀座が考える豊かな暮らしとは?

90年以上にわたり、銀座の街で愛され続ける老舗百貨店、松屋銀座。日本の百貨店のなかで、いち早く“デザイン”の重要性に目を向けてきた松屋銀座は、1955年から機能的で美しいデザインの生活用品を集めたスペース「デザインコレクション」を展開してきました。近年では、「銀座・手仕事直売所」「銀座・暮らしの商店街」など、“ものづくり”や“暮らし”をテーマにしたイベントも数多く主催されています。

STAMPSはこれまで、松屋銀座でポップアップストアを開催したり、イベントに参加したりする機会をいただいています。また、学生時代から「デザインコレクション」が好きだったディレクターの吉川にとって、松屋銀座は特別な縁を感じる場所。

そこで今回は、STAMPSがいつもお世話になっており、「デザインコレクション」のある7階のリビング・呉服・美術フロアのマネージャーである秋山功一さんを訪問し、松屋銀座とデザインの歴史、またご自身が企画と運営に携わる「銀座・暮らしの商店街」のお話を伺うことにしました。

「デザインコレクション」が結んだ縁

–––STAMPSはこれまで4回、松屋銀座でポップアップストアを開催したり、催事に参加したりする機会をいただいています。STAMPSとの出会いや選んでくださる理由を教えていただけますか。

秋山功一さん(以下秋山) 2017年の春、大丸神戸店のリビング雑貨フロアがリニューアルオープンした時に、視察に行って「STAMP AND DIARY HOME STORE」を初めて知りました。海の香りがするブランドという印象を持った記憶があります。

ちょうど、私たちはリビングフロアならではのライフスタイルウエアを探しているタイミングでした。視察からしばらくたって、繊研新聞でも「STAMP AND DIARY HOME STORE」の記事を読んだんです。とても活躍されているんだなあと思って、業界の関係者に聞いたところ「リピートするファンが多いみたい」と。そこで、STAMPSさんに初めてコンタクトをとらせていただきました。

2020年に松屋銀座の7階の「デザインギャラリー 1953」で開催した「STAMP AND DIARY」のポップアップストアの様子〈*〉

吉川修一(以下吉川) 実は、広島三越や大丸神戸店のリビングフロアで展開するようになったのは意図的なものではなく偶然の流れだったのですが、結果的にお客さまが支持してくれました。偶然が必然を産んだ、みたいになったんです。

秋山 STAMPSが目指しているのは、洋服で何かを表現しようとか、顕示しようとかではないんだろうなと思っています。「上質な素材を使い、気に入ったパターンを大切にしながら、シーズンごとに色や素材を変えるプロダクトのような服づくりをしたい」と吉川さんがおっしゃられたのを、今でも覚えています。

でも、初めてお目に掛かったとき、服の話はすぐに終わって。お互いにインテリアやデザインに関心があり、共通の知人がたくさんいることも分かって、そういう話で盛り上がりました(笑)。

写真上:デザインの実践の場としての「デザインコレクション」に対し、デザインの理念として様々な展覧会が開かれているのが「デザインギャラリー 1953」。通路に面した壁に、これまで開催した展覧会が列記されている。1971年に「ハーマン・ミラー・コレクション」、1973年に「マリメッコ」の展覧会が開かれていることに吉川も驚きを隠せない 写真下:松屋銀座のリビング、呉服、美術フロアのマネージャー、秋山功一さん(右)。取材時は、「デザインギャラリー 1953」で、グラフィックデザイナー、仲條正義さんの仕事を紹介する「NAKAJO」が開催されていた

吉川 そうでしたね(笑)。学生時代から松屋銀座の「デザインコレクション」が好きだったんですけど、秋山さんが「デザインコレクション」のご担当もされているということで、とても縁を感じました。

秋山 私は1997年に入社したんですが、セレクトショップの先駆けと言われる「デザインコレクション」の売り場を担当したい、というのが入社動機でした。最初は浅草店に配属されて、銀座店へ異動となり、紳士服、販売促進課のセールスプロモーションを経て、2005年からリビングのバイヤーになり、15年以上がたちました。

吉川 目標を見事に達成されていますね。「デザインコレクション」がある7階は、松屋銀座の中でも特別な感じがします。マーガレット・ハウエルさんご自身がセレクトしたライフスタイルレーベルの「MARGARET HOWELL HOUSEHOLD GOODS(マーガレット・ハウエル ハウスホールド グッズ)」や、ヨーガン・レールさんが手仕事や天然素材への想いを込めた「Babaghuri(ババグーリ)」が、デパート初出店の場所として松屋銀座を選ばれたというのを知って驚いたんです。

こだわりのある方たちが、松屋銀座の7階で何かをやりたいんだなと、僕は感じたんですね。そういう意味でも、STAMPSが、松屋銀座と接点が持てたことは、幸せです。

ほかにはない、デザインの歴史

–––松屋銀座は、日本デザインコミッティーとともに、豊かな暮らしにはデザインが重要であることを長年、提唱されています。

秋山 まず歴史からお話しすると、1950年代のはじめ、イタリアで開かれているデザインや建築、ファッションの国際的な博覧会であるミラノ・トリエンナーレに日本が招かれた時に、国際的な窓口となるデザイン界の団体がありませんでした。

そこで、当時は産業工芸試験所の意匠部長だったインテリアデザイナーの剣持 勇さんや評論家の勝見 勝さんらが中心となって、1953年に国際デザインコミッティー(のちに日本デザインコミッティーに改称)が発足したのです。
デザイナーの渡辺 力さん、グラフィックデザイナーの亀倉雄策さん、建築家の丹下健三さんや清家 清さん、造形家の岡本太郎さんといったジャンルの垣根を越えた12名と、建築家の坂倉準三さんら顧問3名が創立メンバーに名を連ねています。

コミッティーと松屋が関わりを持つようになったのは、女性建築家の草分け的存在の浜口ミホさんが、松屋銀座の7階で台所用品の展覧会をされたことがきっかけです。

浜口さんの旦那さまがコミッティーのメンバーで評論家の浜口隆一さんで、剣持さんともつながりがあったんですね。この展覧会を機に、グッドデザインを啓蒙する活動の場を求めていたコミッティーのメンバーの方々の積極的な働きかけもあって、1955年に「デザインセクション」という売場が誕生したのです。

1955年に誕生した「デザインコレクション」。2011年8月にリニューアルした現在の売場は、全体構想を深澤直人さん、イメージポスターのデザインを佐藤晃一さん、売場のグラフィック表記を佐藤 卓さん、照明計画を面出 薫さんが担当。ディーター・ラムスがデザインした、イギリスの家具メーカー、ヴィツゥのシステムシェルフに、ずらりと並べられたプロダクトはひとつひとつ見応えがある

吉川 そうそうたる顔ぶれですね。

秋山 この歴史はどの百貨店にもないですよね。当時、百貨店は美術、工芸のみ扱うのが主流で、“デザイン”の価値がまだ理解されていなかった時代でした。そのような中で日本デザインコミッティーとの出会いから生まれた「グッドデザイン」への取り組みが、“デザイン”を核に据えたその後の松屋銀座の活動の原点とも言えます。

「いいね」という直観でセレクト

–––「デザインコレクション」で扱われる商品の選定は、どのようにされているのですか。

秋山 日本デザインコミッティーのメンバーが集まる選定会を2カ月に1回開催しています。現在、33名のメンバーがいますが、皆さん距離感がとても近くて、サロンのような雰囲気です。松屋銀座がセレクトしたものを選定会でメンバーの皆さんが評価するケースと、メンバーの方からご提案いただくケースと、その両方ですね。

選定される商品は、時代によって変化してきました。活動がスタートした当初は、なかなか売れず苦戦したようですが、メンバーの自作のデザインや、探してきた商品を持ち寄って選んでいました。バブル期になると腕時計の「TAG HEUER(タグ・ホイヤー)」や「PORSCHE DESIGN(ポルシェデザイン)」といった工業デザインがぐっと伸びたり、バブルがはじけた後、日本の景気が少し持ち直してくると、地域産業をデザインで持ち上げようという動きが起きたりもしました。近年は、日本的な暮らしの豊かさを求める流れに着目しています。

写真上:右上から時計回りに、創業150周年を迎えて編纂された「松屋150年史」、日本デザインコミッティーのメンバーの人となりが伝わってくる「メンバーズカタログ」、清家 清さんや亀倉雄策さん、渡辺 力さんなど日本デザインコミッティーのメンバーがお気に入りのプロダクトを紹介した「デザインカタログ」(1984年制作)。北欧家具のカタログ「スカンジナビアン・モダン・ファニチュア」(1970年代)。いずれも松屋銀座がつくり上げてきた文化 写真下:森 正洋さんによる「G型しょうゆさし」、イサム・ノグチによる照明「AKARI」は、「デザインコレクション」の売場から販売をスタート。この場所の歴史の厚みを感じさせる

吉川 評価の基準はあるんですか?

秋山 メンバーが直観的に「いい」と思ったものをセレクトしています。評価基準を定めても、その価値基準は変化していきますから、日本デザインコミッティーのメンバーの「眼」が選定基準です。

グラフィックデザイナーの佐藤晃一さんが、2011年のリニューアルの際のポスターを担当された時に、「good」を「『良い』じゃなくて、『いい』でいいんじゃないの」って。デザインコミッティーのサロン的な雰囲気の中で、メンバーが「これいいね」というものが選ばれていくのがすごく人間的だなあと、私は感じています。

吉川 一段下がろう、というイメージですね。そこまで行きついたというのがすごい。日本デザインコミッティーは、ボランティアでデザインのために活動されている組織ですよね。

秋山 はい。互いに利害関係がありませんから、メンバーがデザインした製品が選ばれないこともあるんです。デザインコレクションのバイヤーになった年の3月、初めて選定会に出席したのですが、深澤直人さんにお会いして「『AXIS』(雑誌)の表紙の人だ!」って内心興奮していたのを覚えています。今は、メンバーの方を「○○さん」と呼べますけど、あのころは常に緊張していて「○○先生」と呼んでいました。

吉川 原 研哉さんや深澤直人さん、隈 研吾さんといった日本を代表するデザイナーや建築家の方たちが、その頻度で集まること自体が信じられないですね。

秋山 「デザインコレクション」が2011年8月にリニューアルした際、表面上、変化していく部分はあるけれども、1955年からやっている売場としては「古典としてあるものを扱うべきだよ」と全体構想を担当した深澤さんからアドバイスをいただきました。「デザインクラシック」とおっしゃっていましたが、それは売場のカギになっていますね。ただ、ミュージアムではないので、作り続けられているものと、今クローズアップしたいものとのバランスを取るよう心掛けています。

吉川 松屋銀座は、デザインへの取り組みと並んで、いち早く北欧に着目されていましたよね。リビングフロアに行くと、「STOKKE(ストッケ)」のトリップトラップとバランスチェアが必ずあって。

秋山 1960年代からデンマーク家具を扱っています。毎月、コンテナ買いで直輸入していたんですよ。その頃のバイヤーは、「CARL HANSEN & SØN(カール・ハンセン&サン)」からお城に招かれたなんていう逸話もあります。

1960年代から北欧家具を輸入する松屋銀座。カタログ「スカンジナビアン・モダン・ファニチュア」は1970年代につくられたものだが、けして古びた印象がなく、北欧の家具やインテリアの普遍性が伝わってくる。貴重な資料を見せていただき、話が尽きない

吉川  「CARL HANSEN & SØN」はお城を持っていたんですか! そのころは、輸入家具といえばイタリアやフランスのものが主流でした。華美ではないけれど職人の技が光って、素材のぬくもりが感じられる北欧の家具やデザインをいち早くセレクトされていたというのは、本当に松屋銀座らしいですね。松屋銀座の売場は“デザインの奥行き”というのを表現されていて、僕はそれを教わった気がしています。

日本各地のユニークな店が集う架空の商店街

–––松屋銀座では、“暮らし”や“ものづくり”にまつわるイベントが数多く開催されています。秋山さんは近年、「銀座・暮らしの商店街」の企画・運営に携わっていらっしゃいますが、どういうきっかけで始まったのでしょうか。

秋山 やはりデザインが根底にあります。日本デザインコミッティーのメンバーだったナガオカケンメイさんが、2008年に開催したイベント「デザイン物産展ニッポン」で、デザインというフィルターを通して日本各地のプロダクトや食、生活、観光といったものを分類して、それぞれの独自性や、日本らしさをどう表現しているかを展示したんです。普段何気なく使っているものや身近にあるものが、デザインの力で見え方や感じ方が変わるのがとても面白かった。

そこから派生させて企画したのが、ものづくりに焦点を当てたイベント「銀座・手仕事直売所」。職人や作家、クラフトマンが銀座に集まり、直売所形式で販売するのですが、お客様の反応がよくて、12年続いています。

じゃあ、この次に何ができるだろうと。近年、地域に根付いて生業としてお店をされている個性的な店主が、郊外や地方に増えています。それを銀座という場所で表現したいというのが一つ。また、“商店街”って、青果店、精肉店、鮮魚店と専門店が集まって成り立つわけですが、ユニークな専門店が集って架空の商店街が作れたらというのが「銀座・暮らしの商店街」のはじまりです。

2019年に開催された「銀座・暮らしの商店街」の会場風景。この年は日本各地の個性的な店が32店舗、銀座に集まった

吉川 STAMPSも参加させていただく予定だったのですが、2020年、2021年は残念ながら、COVID-19の影響でイベント自体が中止となりました。全部で何店舗くらい集まる予定だったのでしょうか。

秋山 約50店舗の予定でした。小売店もあれば、自社で製造されているブランドもあるし、多岐にわたっています。初回から出ていただいている「ReBuilding Center JAPAN(リビセン)」(長野・諏訪)は、地域の解体される建物から使える資材を引き取り、もう一度暮らしに取り入れる活動をしているアメリカのオレゴン州ポートランドの「ReBuilding Center」の日本版。銀座で古材を売るんですけど、買っていく方が多いんですよ。

また、暮らしの道具や生活雑貨を揃える「Roundabout」(東京・代々木上原)と、諸国の工芸品を扱う「OUTBOUND」(東京・吉祥寺)も。オーナーの小林和人さんの接客は本当に素晴らしくて、見ていて感動します。ほかにも、上海の租界時代のヴィンテージ家具などを買い付けている「on the shore」(東京・早稲田)など、個性的なお店ばかり。信頼している方が「ここは面白いよ」「いいお店だよ」と教えてくださったところにお声がけしたり、あまりこのようなイベントに出ていないところを口説いたりしています。

吉川 足を運んで、お店や作り手を探されて。そうした秋山さんの探究心がイベントのレベルを高めていると思います。

長野・諏訪の「ReBuilding Center JAPAN(リビセン)」(写真左)、東京・早稲田の「on the shore」(写真右)は、第1回、第2回と出店。出店者同士のつながりが生まれるのも、秋山さんにとってうれしいことだという〈*〉

秋山 「銀座・暮らしの商店街」の可能性をすごく感じています。以前は東京一極集中だったのが、5Gの時代が来て、地方でも都市にいるのと同じ感覚で仕事ができるようになった。その地域ならではの文化が生まれるし、ユニークなお店も出てきていますよね。そういうところを紹介するプラットフォームになるといいなと思っています。

一番うれしいのは、出店された方たちがつながっていくこと。「銀座・暮らしの商店街」の後に、出店された方たちが別の場所で一緒にイベントをされることもあって。それは、日本デザインコミッティーのメンバーの方たちがつながっていくのと一緒だなと思います。

吉川 そういうところも伝統というか、歴史が受け継がれているんですね。

秋山 COVID-19によって松屋もECを始めましたが、実際に話をして買ったものの記憶って大切なんですよね。これはどこで買ったとか、ものに触れるたびに思い出す。銀座は常に新陳代謝していますし、根強い魅力がある街。そういう場所にあるというのも、松屋銀座の強みではありますね。

吉川 新しいカルチャーもどんどん入ってくるし、大人が足を運んで満足できる日本一の商店街、商業集積地ですよね。松屋銀座は60年以上前から、暮らしを豊かにするデザインの大切さを発信し、日本のデザイン界の発展を支えてこられた。そんな松屋銀座にSTAMPSを選んでもらえてほんとうに嬉しいです。近い将来、また松屋銀座で、STAMPSのものづくりやもの選びがご紹介できることを、心から願っています。

秋山功一さん 1997年、株式会社松屋に入社。婦人雑貨、紳士服の販売を担当後、販売促進課でセールスプロモーションを担当。現在、銀座店のリビング、呉服、アート部門のマネージャーとして活躍する。学生時代は陶芸やものづくりに関心をもち、都内の器店巡りがライフワークとなっていた。https://www.matsuya.com/ginza

PHOTO:
矢郷 桃(*以外)
EDIT:
古山京子(Hi inc.)
TEXT:
橋本伊津美

Travelogue CHAPTER01_STAMPS

松屋銀座さんの“いいデザイン”