Travelogue

| 旅する人々 |

CAFE Ryusenkei
合羅智久さん〈前編〉

「旅するカフェ」というコンセプトで「CAFE Ryusenkei」を営む合羅智久さん。前職で国内外を飛び回っていた頃、今の生活につながる多くの出会いがあったそうです。

「旅する人々」は、STAMPSディレクターで大の旅好きでもある吉川が、ご縁を感じる人たちと旅の話をする企画です。第7回にお迎えしたのは、箱根で移動型カフェ「CAFE Ryusenkei」を経営されている合羅智久さんです。

合羅さんは、アメリカ製のキャンピング・トレーラーの「AIRSTREAM(エアストリーム)」(Caravel/1967年製)を、電気自動車「ニッサンLEAF」で牽引する移動型カフェを主宰。箱根・彫刻の森美術館並びの囲炉裏ゲストハウス天幕を拠点に、時には箱根近郊や横浜、湘南方面などへの出張もあるそう。ハンドドリップで淹れるコーヒーを中心に、ホットサンドイッチなどのフード類やワインも

取材は、「CAFE Ryusenkei」と合羅さんのご自宅の2か所で行われました。よく箱根に足を運ぶという吉川も、箱根に行く度に「CAFE Ryusenkei」を訪れているそうです。

–––「CAFE Ryusenkei」、とても素敵な空間ですね。

合羅智久さん(以下、合羅) ここは、皆さんにいい時間を過ごしてもらうための場所。いい時間を過ごすために必要なのは、いい空間といいサービス、その次においしい飲み物や食べ物という順番だと、僕は思っていて。だからカフェを営む際、いい空間を確保することが一番大事でした。

吉川修一(以下、吉川) たしか、最初から移動型カフェをする予定ではなかったんですよね。

合羅 そうなんです。当初は固定店舗で考えていて、箱根で1年近く物件探しをしていました。でも、いい物件がなかなか見つからなくて。そんな中、ふとAIRSTREAMでやるというアイデアが降りてきた。よく考えてみると、AIRSTREAMは「バグダットカフェ」や「ギルバード・グレイプ」など、僕が好きな映画でアイコン的に用いられていたもの。頭の片隅にずっとあったんでしょうね。当時、AIRSTREAMで移動型カフェをする人は日本にいなかったので、ゼロから調べることになりましたが、さまざまな出会いが重なり、トントン拍子でこのAIRSTREAMでお店を開くことができました。

吉川 コーヒーがおいしいのはもちろんですが、内装が本当に素敵です。

合羅 内装はこだわりました。この空間がうまくいったのは、設計事務所imaの小林 恭さんとマナさんのおかげ。お二人が意図を汲んでくださって、ファーストスケッチがほぼそのまま形になったんですよ。

レコード会社時代の、出張という名の「旅」

–––合羅さんは、そもそも旅はお好きですか?

合羅 はい、旅好きですね。前職はレコード会社に勤めていたのですが、出張という形で国内外いろいろなところに行きました。金曜日に大阪に出張だったら、もう1泊とって翌日は京都を観光して帰るとか、そういうのはよくしていましたね。

吉川 音楽業界のお仕事では、どんなところに行かれていたんですか?

合羅 47都道府県は一通り行きました。THE BOOMやキリンジ、畠山美由紀さん、松任谷由実さんの制作ディレクターをしていたので、よくツアー先まで追いかけて打ち合わせをしたものです。ライブ後に一緒にご飯を食べたり飲んだりすることが、重要なコミュニケーションだったので。東京や大阪などの都市部は取り巻きの方がたくさんいらっしゃるんですが、地方だとゆっくり話す時間がとれる。だから四国や北海道などのツアー・バスにもよく同行させてもらいました。そう考えると、アーティストと一緒に全国を回るツアーは、完全に旅ですよね。

吉川 そうですね、旅です!

合羅 コンサートを主催するイベンターさんは、地元の“一番いいもの”を知っている。だから、その土地で一番おいしいものや旬なもの、新しいもの、伝統的なものなど、いろいろ引き出しがあって、最上級のものだけでなく、アーティストにとって刺激になる、普通に生活していたら出合えないような体験も一緒に体験させてもらいました。今思うと、宝ですね。

吉川 特に印象に残っている旅はありますか?

合羅 たくさんありますが、THE BOOMが高知の四万十川のほとりで行ったコンサートは、今も心に残っています。終演後、真っ暗な曲がりくねった山道を20分ほど車を走らせたところにある、廃校をコンバージョンした宿泊施設に泊まったのも印象深かったですね。

吉川 四万十川でのコンサートなんて、素敵ですね! 合羅さんは海外にもよく出張で行かれていたとか。

合羅 アメリカには数えきれないほど行きました。ロサンゼルスだけでも50回以上は行っています。ミネアポリスは30回ぐらい、ニューヨークは5回ぐらいかな。出張で、上海やソウル、香港などにも行きましたね。

吉川 ミネアポリス! 普通は頻繁に行くところではないような……

合羅 そうですよね。ミネアポリスは、一緒に仕事をしたいレコーディングエンジニアがいたので、よく行きました。このミネアポリスでの経験は多分、僕が今この生活をする後押しになっています。

吉川 と、言いますと?

合羅 ミネアポリスは、日本でいえば新宿副都心みたいなところなんですが、車を5分ほど走らせると自然にあふれている。市内だけで15もの湖があって、ミシシッピ川のほかに多数の小川が流れていて、森や湖がばーっと広がっていて。まるで北海道のように自然豊かなんです。そんな広大な風景のなかに突然、白い近代的な建物が現れる。プリンスのプライベートスタジオとして知られる「ペイズリー・パーク」です。そこから1kmほど離れたところに、お城のような古い洋館があって、そこがプリンスの自宅なんですけど、見た瞬間、日本と環境が違いすぎるなと思いました。

吉川 日本の都内にあるような録音スタジオとは規模が違うんですね。

写真上:合羅さんがレコード会社でディレクターを務めていたとき、何度も訪れたミネアポリスの夜景 写真下:同じくミネアポリスでの思い出。写真は、仕事仲間が所有していた自家用クルーザー。レコーディング後は、好きな音楽をかけながらクルージングを楽しんでいたという〈以上*〉

合羅 一緒に仕事をしていたレコーディングエンジニアの方も、ロサンゼルス、ニューヨークなどいろいろと行かれていましたが、ホームはミネアポリス。プリンスもそうだったと思います。プロモーションやツアーで世界中飛び回るけれど、生活の拠点は自然豊かなこの場所なんだと。

この人たちにはかなわないな、と思いました。だって彼らは本当に人生をエンジョイしているんですよ。たとえば、レコーディングは19時ごろに終えて、その後はクルージングへ。彼らは、日本でいう乗用車みたいな感覚でクルーザーを持っているので。ミネアポリスは緯度が高いから、夏は22時ぐらいまで明るくて、そんななかで音楽を爆音でかけて、途中でクルーザーを停めてレストランでごはんを食べたり、お酒を飲んだり。それも平日に。そういう暮らしを目の当たりにして、「これが人間らしい生き方なんだな」って。

吉川 日本とはまったく違うんですね……!

合羅 みんな、仕事はバリバリするんです。レコーディング自体は神経が張り詰めるハードな時間ですしね。でも、それが終わったらとことん生活を楽しむ。豊かな生き方だと思いました。日本人は曜日に関係なく仕事をしますよね。国内のレコーディングでは昼から深夜、明け方にかけてやるのが普通でしたが、海外では朝10時からだいたい夕食前まで。深夜まではよほどのことがない限りはやらないし、日曜日は家族のために使う。もともと都内に住んでいた僕が、今、箱根に暮らしてカフェを営んでいるのは、そうした彼らの生き方から影響を受けているのは間違いないですね。

プリンスの映画「パープル・レイン」にも登場した、ミネアポリス郊外にあるミネトンカ湖。その湖畔にあるレストランには、ボートやクルーザーを係留して食事やお酒を楽しむ人たちが〈*〉

退職後の旅──1週間のバリ島旅行と、ヨーロッパ一周の旅

–––前職のお仕事を辞められてから、どこか旅へ行かれましたか。

合羅 会社を辞めた年に、1年間ほどカフェの準備をしながら行きたいとこへ行き倒そうと思って。まずは、2012年7月にバリ島に1週間ぐらい行きました。滞在したのは、「タンジュン サリ」というバリ島に古くからあるリゾートホテルなんですが、そこはデヴィッド・ボウイが定宿にしているところなんです。僕、デヴィッド・ボウイが好きなんですよ。実は、デヴィッド・ボウイと誕生日も一緒で(笑)。

宿泊費はそれなりに高価ではありましたが、ロケーションやサービスなどがきちんと見合っていて、素晴らしいホテルでした。1週間滞在し、ウブド王宮やアグン山など、いろいろなところに行きました。最初は1週間も楽しめるかなと心配していたのですが、満喫しましたね。インドネシア伝統のガムラン音楽を生で聴きたいというのもあったので、それも聴くことができて、ケチャ(ケチャックダンス。男性が合唱して踊るバリ島伝統の舞踊)も見ることができて、面白かったです。

吉川 音楽に触れつつ、バリ島に滞在されたのですね。

バリ島のホテル「タンジュン サリ」。合羅さんが好きなデヴィッド・ボウイが定宿にしていたことから、いつか訪れたい場所のひとつだったという〈*〉

合羅 その年の8月末には、imaの小林さんご夫妻が仕事でフィンランドのヘルシンキへ行くと聞き、それに合わせて僕もヨーロッパへ。ヘルシンキで待ち合わせて、スウェーデン、デンマーク、ベルリン、プラハ、ブリュッセル。ブリュッセルでは友達と会って、最後にパリへ。約1カ月間の旅でした。行きと帰りの飛行機と、最初の2日間のホテルを日本で押さえて、あとは何も決めずに行って、現地でbooking.comやExpediaなどを使って宿をポンポン決めていました。

吉川 もう、完全にバックパッカーですよね。

合羅 本当に! リュック1個にMacBook AirとiPhoneと。ヘルシンキからストックホルムは、「シリアライン」というフェリーで1泊かけて行きました。日本でチケットを予約するよりも現地で買う方が安く、2012年当時で3,500円くらいなのに、豪華客船みたいに立派でびっくりしました。夕方5時ぐらいに出て朝に着くんですが、早朝の船の甲板から見た朝焼けがサーモンピンクで、とてもきれいだったのを覚えています。

吉川 imaの小林さんたちとはヘルシンキで合流したのですか。

合羅 はい。他にも何人か知り合いがバラバラで現地入りして、ヘルシンキ中央駅で日曜の朝9時ごろに待ち合わせをしました。そこから郊外に行ってきのこ狩りをしたんですよ(笑)。夕方、ヘルシンキ在住の日本人女性宅で、そのきのこを使ってパスタを作ってホームパーティー。完全に地元というか、日常に近い感じがしますよね。いい体験でした。

吉川 ヘルシンキできのこ狩り! 楽しそうですね。フィンランドって、森を開放しているんですよね。誰かの所有物であっても入っていいっていう法律があるようですね(注:「自然享受権」という権利で、土地の所有権は誰であろうと、誰でも大自然の森に入り、大自然を楽しむことが許されるというもの)。

写真上:レコード会社退社後の旅の写真から。きのこ狩りをしたフィンランド・ヘルシンキ郊外の森 写真下:デンマーク・コペンハーゲンのベルビュービーチ〈以上*〉

合羅 実は、北欧は初めてだったんです。僕はもともと北欧の家具が好きで、ずっと行きたかったから本当に充実した旅になりました。

吉川 合羅さんの旅は、ストーリーがきちんとありますよね。

合羅 本当ですか? ざっくりしか決めてないですよ。そのヨーロッパの旅では、北欧三国とプラハ、ウィーンには行こうと思っていましたが、小林さんたちが「ベルリンいいよ」と言うので、ふらりとベルリンに行ったり。そういうところもあります(笑)。

吉川 そんな旅もいいですよね。以前、合羅さんから日本での旅の話を伺ったときは、旅ひとつひとつに目的があるなぁと感じたんですよ。

合羅 なるほど。日本国内の旅は、確かにそういう部分もあるかもしれませんね。

CAFE Ryusenkeiのロゴのもとになったこの写真は、フィンランドに行ったときにヘルシンキのカフェアアルトで合羅さんがフィルムカメラで撮影した一枚

–––では、その日本での旅の話もぜひ聴かせてください!

後編 に続きます

合羅智久さん 移動型カフェ「CAFE Ryusenkei」オーナー。音楽専門誌の出版社を経て、レコード会社で制作ディレクターとして活躍した後、2013年に日本で初となるアメリカ製のキャンピングトレーラー「AIRSTREAM」で移動型カフェをスタートさせる。電気自動車「ニッサンLEAF」で牽引し、箱根近郊を中心にさまざまな地域をめぐる。https://cafe-ryusenkei.com

PHOTO:
有賀 傑(*以外)
*は合羅さんご提供
EDIT:
古山京子(Hi inc.)
TEXT:
野村慶子

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