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| 旅する人々 |

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荒井昭久さん・博子さん〈前編〉

アメリカのシューズブランド「dansko」の魅力を日本に伝え続ける、荒井昭久さんと博子さん。danskoに出合い、長く暮らしたアメリカでの一周旅行は、今でも忘れられない旅です。

旅好きのSTAMPSディレクター・吉川が、ご縁を感じる人たちと旅の話をする「旅する人々」。第6回にお迎えしたのは、シンプルさと履き心地の良さで人気のシューズブランド「dansko(以下、ダンスコ)」の日本総輸入元である荒井昭久さん、博子さんご夫妻です。

「dansko(ダンスコ)」は1990年にアメリカ・ペンシルベニア州で生まれたブランド。足を包み込むようなフォルムとその履きやすさが特徴で、医療・飲食店関係者にもファンが多い。2008年より、荒井昭久さん、博子さんが日本の総輸入元として日本に「dansko」を伝える

取材はダンスコの事務所のあるパレス青山にて行われました。実はこのマンション、吉川がSTAMPSを創業して最初に事務所を構えた場所。そんな懐かしい空間で、お話を伺いました。

–––まず、3人の出会いについて教えてください。

吉川修一(以下吉川) STAMPSがここ(パレス青山)に事務所を構えていたときに、共通の友人に紹介してもらったのがきっかけでしたね。そのあと「お買いものしナイト“夜フリマ”」(ライフスタイルショップ「CLASKA」主催の、さまざまなものを持ち寄りお酒を片手に買い物が楽しめるフリマ)で隣同士になったり。

荒井博子さん(以下、博子) たしか2013年に出会ったので、もう気づけば10年になるんですね。

吉川 今はSTAMP AND DIARY HOME STORE 広島店やオンラインストアでダンスコを取り扱わせていただいています。ダンスコは足や腰の健康に配慮された履きやすさでファンが多い靴。僕の長女がアメリカで出産したとき、付き添っていた妻が「病院にいた医療関係者が全員ダンスコを履いていた」と話していて、ダンスコは健康を守るプロに認められる靴なんだと、改めて感心しました。

「アメリカ一周旅行」という大冒険

–––お二人はさまざまな国を旅していると伺っています。特にアメリカには長い間、滞在されていたとか。

荒井昭久さん(以下、昭久) 20代のときにシアトルに留学して、そのあと一回帰国して25歳で結婚、親父の会社を一応やっていたんだけど、27歳くらいで辞めてまたアメリカへ。その後13年間、ポートランドとシアトルで過ごしました。

吉川 その頃のシアトルって、どんな街だったんですか?

昭久 シアトルはいわゆるIT先進都市ですよね、Amazonやマイクロソフトがあって。スタバ、タリーズ、コストコのホームタウンでもある。僕が数年前に行ったときは、いつの間にか街の三分の一くらいに路面電車が通ってて、“Amazonの街”みたいになってました。僕が学生時代に500ドルで住んでいたような部屋が、今は1700ドルとか。最低時給は18ドルくらいだし、街には港区で走ってるような車しか走ってない。

博子 私たち、一緒にシアトルに留学していたんです。シアトルにはスターバックス1号店があるんですけど、「インターナショナル募集中」ってフランチャイズを募集するカードがお店に置いてあって。当時はまだ日本にスターバックスが上陸していなかったので、「面白そう! やってみようかな」って、考えたりもしました。

二人が長く暮らしたシアトルの風景。写真左下はシアトルのシンボル・スペースニードルで、写真上は、シアトルで一番人気の観光スポット、パイクプレイス・マーケット。スターバックス1号店がオープンした場所でもあり、現存するマーケットでは全米で最も歴史が長い〈*〉

昭久 留学中、ちょうど1カ月ほど暇な時間があって、レンタカーでアメリカ全土を回ったんですよ。シアトルから南下してメキシコとの国境を越えて、ラスベガス、グランドキャニオン、テキサス、そこからミシシッピ、フロリダ、最南端のキーウェストまで行って、カンザス、ロッキー山脈を経て帰ってきたんです。走行無制限だから、レンタカー会社が泣きそうになってた(笑)。アメリカの分厚い「地球の歩き方」とダンボールいっぱいにアメリカの地図入れて、それを見ながら車を走らせてたよね。

吉川 すごいですね……! 当時、日本人でアメリカ全土回る人って、なかなかいないですよね。

博子 そのときは友人も一緒で、3人で旅したんです。モーテルなどの安宿に泊まることが多かったんですけど、2人と3人とでは5ドルぐらい金額が変わるので、「車のトランクに1人隠れてチェックインしようか」なんて話したり(笑)。そのくらい、お金がない旅でした。

昭久 アメリカ全土を実際に回ってみると、町ごとに性格がまったく違うんだなあと思いました。特に南部は治安がよくなく、夜中にドライブインに入ると、そこにいる全員が一斉に俺を見てくるの。

博子 そう! まるで映画で見たようなシーンでした。今思えば、お互いに慣れていないから、怖かったんでしょうね。

昭久 そうかと思えば、治安が最悪だと聞いていたアラバマでは、ぷらっと入ったドライブインのオーナーが「俺は秋田犬をいっぱい飼ってるんだ!」と、秋田犬の写真が貼られたアルバムを見せてくれて。仲良くなって、全部タダになったり。差別はもちろんあるけど、いい人はたくさんいるなぁと。

博子 あとは南部は英語が訛りすぎていて、喋ってることがわからなかったのもあったかな。同じ英語なのにわからない!って。

吉川 アメリカというひとつの国なのに、別の国みたいですね。

昭久 キーウェストでは、乗合船に乗って釣りに行ったりもしました。そのときに仲良くなった、日本人のおばちゃんともいい出会いだったなぁ。いろいろあってキーウェストに流れ着いたらしいんだけど、「日本人は珍しいから、家に遊びに来て」って誘われて自宅に行ったら、天ぷらとか豪勢な日本食を作ってくれて。

博子 「持って帰りなさい」なんて、いろいろと食べ物を持たせてくれて。いい出会いばかりに恵まれた旅でした。

アメリカのさまざまな観光地に行くと、1セントを薄く引き伸ばしてお土産にする機械が置かれている。全土をまわる旅で集めた各地の1セントは宝物だ。

昭久 喧嘩もしなかったし、大きなトラブルもなかったよね。フロリダのディズニーワールドが高かったくらいかな(笑)。山手線の内側より広いから、引きました……。

博子 せっかくフロリダに来たなら、ディズニーに行きたくて。 1週間滞在して、1日ずつテーマパークをまわりました。

吉川 当時、フロリダのディズニーに行くことは、ひとつのステータスでしたよね!

昭久 この旅で印象に残っているのは、グランドキャニオン、フーバー・ダム(全米最大のダム)かな、あとはエリア51。米軍基地があって、UFOの目撃情報が多いところで。車で120キロ出して走ってるのに、十数時間経っても景色が変わらない、ただまっすぐな道なんですよ。でさ、何かピョンピョン飛んでるのも見たんだよね? 幻覚なのかもしれないですけど(笑)。

吉川 ええっ、UFOですか?

博子 本物だったかどうかはわからないけど、確かに山に入り口みたいなものとか、入ってはいけない場所がたくさんありました。「これは現実なの?」っていう風景ばかりでしたね。

吉川 きっと本物だったんでしょうね! そんな経験までされていたとは……(笑)。

ダンスコとの出会い

–––その後、アメリカで生活をされているときにダンスコと出会ったんですよね?

博子 はい。結婚後に再びアメリカに住んだとき、夫はお寿司屋さんで、私は日本食レストランで働いていて。周りの人がみんなダンスコを履いてて、私も勧められて履くようになったんです。そしたら、脱ぎ履きしやすくて、いくら履いても疲れないし、すごいなって。

その後、通院していた病院で、先生と「私、これから何をしていこうかな」と話をしていて、「ダンスコの靴を日本で売ってみたら」と先生がおっしゃって。

吉川 それが輸入を始めたきっかけですか? 面白いですね!

博子 病院で医者と患者がそういう話をすることも驚きですけど、ビジネスの話をすること自体、日本ではあまりないことですよね。

荒井さんご夫妻が手掛けるダンスコの雑誌広告のデザインも毎回注目を集める。ディレクターの井上庸子さん、書道家の新城大地郎さんと共に制作した広告は、2022年のJAGDA 賞を受賞した

昭久 俺たち以外にも、大手商社が輸入代理店の候補に上がってたらしいんだけど、「大手は他にも商品があるから、ダンスコを大事にしてくれないかも」という理由で、俺たちに決めてくれて。

吉川 今もダンスコのお仕事で、アメリカにはよく行かれているんですよね。

博子 はい、年2回は行きます。本社はフィラデルフィアから車で1時間ぐらいの、デラウェアとの州境なんです。赤毛のアンが馬車で向かっていくシーンのような、ゆるやかな丘が広がっていて。本社の近くにはアーミッシュがあって、ダンスコの人にアーミッシュを案内してもらったこともあります。

昭久 マッシュルームの一大産地で、収穫の時期になると町中ににおいが漂ってる。ホタルもいて、自然豊かな田舎町です。その前後はだいたいニューヨークで遊んでますね。ブルックリンが好きなので、町をぶらぶらしたり、食事を楽しんだりしています。

二人がシアトルに行くと必ず足を運ぶハンバーガーチェーン店「Dick’s(ディックス)」。アメリカでもシアトルにしかなく、約半世紀前にオープンした老舗名物店。ドライブインのみで、ハンバーガーも4種類のみというこだわりよう〈*〉

刺激を求めて、さまざまな国へ

吉川 アメリカ以外にもいろんな国へ行かれていますよね。

昭久 ラオスやカッパドキア(トルコ)とかも面白かった。俺は安くてマニアックなアジアが多い。

吉川 別々に旅行に行かれることもあるんですか?

博子 あります。私は5、6年前に友人と3人でメキシコのオアハカにも行きました。オアハカは黒いとうもろこしのトルティーヤで作るタコスが有名な町なんですけど、そこでやっている「死者の祭り」を見たくて、一般家庭でホームステイさせてもらいました。

昭久 お墓のまわりで飲み会するのは、ちょっと沖縄と似ているよね。

博子 「顔にペイントしないと死者と間違えて連れて行かれちゃうから」と、私たちも顔にペイントして。なかには、最近お別れをして、しんみりしているグループもあるけれど、基本的にみんな楽しく飲んでいるんです。

吉川 オアハカは、メキシコの中でもなかなかマニアックな場所。いやぁ、博子さんはマニアックな旅をされているんですね。

後編 に続きます

荒井昭久さん・博子さん 結婚後に渡米し、シアトルとポートランドに暮らしていた際、ペンシルベニア生まれのシューズブランド「dansko(ダンスコ)」に出会い、2008年にダンスコの日本総輸入を務めるシースターを設立。昭久さんは代表を務め、博子さんはブランドディレクターとして企画やプレス業務を担当する。http://www.dansko.jp

PHOTO:
有賀 傑(*以外)
*は荒井昭久さん・博子さんご提供
EDIT:
古山京子(Hi inc.)
TEXT:
野村慶子

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